特集記事の裏話
まだ出てない本なんで、色々制限があるんだけど、実は特集の原題は、”僕らと薪ストーブの関係” 。
で、これすごい気に入ってたんだけど、
これは編集長さまと相談して変えた。
僕の雑誌じゃないからね。特集タイトルまで牛耳らないよ笑
僕らと薪ストーブの関係を構成しているものを具体的にテーマ5つ出して、分けて書いたよね。
1 住み心地に大きく関わる”熱の種類”
2 焚き心地に大きく関わる”炉内のバランス”
3 ストーブの性格に大きく関わる”燃焼に使う空気の量”
4 気分に大きく関わる”見た目”
5 愛着に大きく関わる”恒久性”
ま、最近僕が話してることの中心だよね。
今ストーブ選びってホント難しくなってきたと思うんだよね。
薪ストーブ選び、、みたいなタイトルになったのかな。
書いた後は、もう読まない派だから校了したあとは忘れてしまうんだよね。
記事はボリュームがあるので読み応えはあると思います。
でもいつも編集長ともこれ話するんだけど、
例えば新聞とか取材受けてもさ、何か記者さんに伝えたい事話しても結局は、ただ新聞が書きたい記事に言葉を変えられて書かれるだけなんだよね。「こんな事言ってねーし笑」って記事になってる。
新聞もテレビもそんな感じ作り手の意図で出来ているんだよね。
売れたり見られたりした方がいいものって全部目をひく操作がされていてさ、YouTubeなんてその最たるものだよね。
文章なんてデリケートで、ちょっと変えるだけで伝えたいことが変わってしまう。
伝えたい事が変わる可能性があるっていうのは、”言論の自由”と”ペンは剣よりも強し”の根幹に直接触れている事なので、
僕は句読点一個も絶対に自分で直させてもらってる。すごく当たりまえなんだけど、
もう世の中はそうできていない。
文責、文の責任という意味はブログでもなんでも文を書く底辺の人間として強く持ってるんだよね。 ←古い人間なんです笑
ブログってそこいいよね。誰も直そうとしないし。そして残る。
雑誌に寄稿してきた記事はなぜか殆ど読み返すこと無いけど、
昔のブログとかは今でもたまに読みかえしてクスっとしたりすることある笑
自分の気持ちを自分の言葉の残すっていいよ。
僕が20代初めに出会った座右の銘みたいにしてきた言葉で「書く事はその時々の自分に決断下す事である」ってのがあって
30年前に読んだ佐藤泰志のあとがきにあったんだけど、日記というか雑記を沢山書いていた時期だったからホント強烈に響いたの覚えてるな。
それから30年もたった気がしない。