ふだん

2022年04月07日

東京に触れて帰ってきて、、ウチの庭に広がるブナやイタヤの玉をみると、そのなんていうか圧倒的な距離感に自分に戻るために早く薪割りしたり、山に行きたくなる。

このあたりの象徴ともいえる木、イタヤ

 

作業着や山菜や川やニワトリなんかも、、自分に戻る。

自分をなくす、ってことではなくて(50も過ぎると失くしようにも失くせないという意味で)、

“普段をなくす” ”普段に戻る”ってことか。

 

“普段” が好きなんだな。

ってことに今書いてて気付いた。

 

東京の景色と灰色のスケールが僕の普段てことで言うと圧倒的過ぎて、たぶん僕は東京に住んでいたら薪を焚かない普段を選ぶような気がする。

薪を焚くために山と海のあるところに引っ越すんだと思う(今の普段の感覚で言うと)

ようはここでは二つ欲しがらないと思う、、

 

東京や大都市にいたらそれはそれで大都市での薪の暮らしがあるんだと思うし、

大都市で火のあるっていうのってふり幅というか、いいもんなのかもしれないね。

 

久々の東京はコロナ以前は東京も自身のふり幅としてもう少し上手に取り入れていたかもしれないけど、

なんか都会歩くのつかーれた笑。

バスタブついた部屋とってよかったよ笑。

 

いや違う、これって単に

 

歳とったんだ 笑。

 

 

書いてて気づくことがあるから書くのっていいんだよね笑

 

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