2023年03月02日

函館にとっても好きなお花屋さんがあったんだけど、

そのお花屋さんの何が好きだったかっていって(っていうか、好きだからと言って売上にたくさん貢献した感じもないんだけど)、なんていうか店主の好きとかが作るものに出てたし、だから逆に全員が好きって感じじゃなかったのかもしれないけどさ。

 

そこのお花屋さん山に生えてるもん上手く使うんだよね。

それって同業者とか問屋からしたらアレだと思うんだけどそれがすごい良くてさ。

ヤドリギとかもね。

あの生命感。

すごいよね。

 

僕も山菜取りに山に行くけど、

真っ白の閉ざされた極寒の世界から、茶色い土や去年の草が顔出して、新しい緑が出てくる季節の山に行ったことあるかな?

その時の春の生命感はホント好きで、

植物に関係のある仕事していたら(お花屋さんは特に)、絶対に見ておかなきゃいけないって感じるんだよね。

そういう感動やリスペクトがお店から感じ取れてたんだよね。

 

自身の経験ともリンクして行ったりするのもあるんだよね。

昔さ、配管屋のころ、お花のビニールハウスの中の灯油の配管をやりに行ったときね、配管しにビニールハウスに入ると農家の方が「まだそこ入るな」っていうわけ。「どして」って聞くと「薬で土殺す薬まいたから具合悪くなるど」って言ったの。土殺すっていう言葉もすげえな、と思ったけど、大体のものより強いって30代特有の勘違いを盾に入って配管しようとしたらすぐ具合悪くなって。

そんな環境で作られる食べ物は少なくとも想像できなかったし、

ま、花は食い物じゃないから、こういう強えーヤツできんのかな? くらいに思ったりそん時はしたんだけど。

それにさ、なんか、自然界に無い色の花とかって、そういうの売れるから遺伝子組み換えたりして一生懸命作るでしょ。青いバラとか。大豆に遺伝子組み換えてありませんが重要だったりするのに。まあ、食べるとこ大きくしたり遺伝子組み換えって色々なとこに使われてると思うし大きくは自然界でもおきていくことだしね。

自然界に無い色の花作る、、、、それって必要あるの? って思うこともあんの笑、ひねくれてるからさ。

春の山に芽生える草やちっさい花はの方が、キレイってことに気づいたらそんな花しんどいだろうなって笑

そういうの一周すると、ま、キレイかもだけど、青いパラやカーネーションは改造人間みたいに見えちゃうわけ。自然へのリスペクトと関係の無い流れにあるなって。

組合せとバランスだけの創造と

自然の完璧さの絶望との間で

苦しくなったんじゃないかって想像した。勘違いでもいいんだけどさ。

 

薪ストーブでも、山のもん焚いたらこんなにあったかいんだってとこなんだよね笑。炭素の固定っていうさ、光合成って2023年の今でも科学でできないわけで。

薪を乾かす画期的な方法すらないんだよな。

そういうの青いカーネーションと一緒で、無くていいんだと思うな。

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