ホッケを焼いてほしい。
アタマと尾っぽを入れると45センチもある1kg以上ある函館の根ホッケは、当然、家のコンロでは焼けない。入れたところで肩が引っかかってしまう。
じゃ外で炭起こして焼くことになるのかもだけど、日常で火が入っている薪ストーブがあれば、それをうまく使うことで上手に焼ける。
僕としては月並みな文脈を書いてみたんだけれど、、、
そんな素敵な生活ってあるだろうか。
火のある生活は、ホッケに代表されるように、火を生活に生かせばいい。
それって得意じゃない?
僕らは食べ物が世界でも最もおいしいだろうという街、函館に住んでいるので例えばホッケを焼くというだけで、この函館のアドバンテージを日々感じる幸せが気に入ってるけど、
張り切ってピザとか焼くよりも、なんもなんも、そこらへんにあるおいしいもの焼けばいいのさ。
生協の鶏むね肉だってかまわない。
薪がしてくれることを噛みしめるには十分。
もう山菜だって生えてくるし、山菜のパスタが誰かの人生を変えることだってある。
薪がしてくれること、、って書いたけど、、
薪がしてくれるのは、お金を払えば全て終わりじゃなくって。
人間と生き物の関係に似ているんだよ。
薪にしてほしいなら、してあげなくてはいけないの。
割る時期も、しっかり積んで、風と太陽を感じて、晴れを待って、願って。
木の育った時間を感じ、人類史上最も大きな発明かもしれない”火” にリスペクトを持たないとそれらは応えてくれはしないんだ。
そこから本当にたくさんの気づきと学び。
今までの人類が自然にやってきたそれを、
多少の便利と引き換えに捨てて今言ったような沢山の気づきの無い人生じゃなくてよかった。
火を焚いた人生で本当によかったなって。
だから好きな人には焚いてもらいたいのさ。
人生で一番大事な気づきを好きな人と共有したい。
今でもいい人なのにもっとよくなる。
もっとおいしくなる。
そんなことを感じた現場調査だった。