薪割りへの想い
薪割りはポジティブな意味でもネガティブな意味でも
音、匂い、ごみくず、場所、トラック、作業、ツナギのおじさん笑とかオイルの臭いなど、キレイな出来上がった薪という商品から透けて見えないようなものたちの塊だ。
だが、薪割りをしないで薪という商品を買うと、
さっきの音 匂い ゴミ 場所 トラック 作業 オジサンオイル を “見ない” いうことにお金を払っているのかもしれないね。
セレブの遊びかよ
(独り言 笑)
そんなん衰退するわ。
なんでかっていうとセレブって1割なのか5パーなのか、、、だし、セレブは次のお金を使うおもろい対象に移るだろうし、本質的なものが抜けた薪ストーブ生活(つまりは買った薪を焚くだけの薪ストーブ生活)って、サイコーに面白いとはいいがたい。
し、適正的に薪ストーブに一番向いているのは奴隷みたいに動ける人だよ(セレブでもいるけどそういう方笑)
火を見て癒し、とかじゃなくて、火を生活に活かせる人さ。
もし自分の作った薪以外焚いてはいけない、という法律ができたら、セレブは撤退するだろうし、
そうしたら薪の作られる過程経験してその作業を愛せる人たちだけが焚く世界になったら、抜群に薪焚くの上手になると思う、
やっぱり大多数の中間層がやるべきだし、コストの事考えると、そもそも北海道の家に100パーついているセントラルヒーティング的なものに150万コストがかかっているんだから、それにとってかわっていくべきで、
正直本州の日射量多い地域なぞ、住宅性能上がっていけば薪ストーブいらんと思うし。そもそもがかかっていないコストに150万かかるっていうんでなおのことセレブの持ち物っていうイメージになっている。
北海道の人ホント、
ディフェンスの暖かさじゃなくて、攻めたあったかさで暮らそうよ。
買って焚いてる派が多数だと思うけど、
いやこれは薪だけじゃなくて、全てのものそうだけと、米とか卵とか魚とか肉とかね、一次産業に関わるものは全てそういうものに隠れてる部分と街をつなげて考える想像力が必要ってこと。
今時期薪割りしててホント、サイコーに楽しいって思うけど、
サイコーに楽しいって思うのって、薪ストーブがあるから楽しいし、木を伐ってきたり木の名前知ってて薪割りをできる体力があってそれ使って料理も上手って、
そんなの間違いなくかっこいいし、そんなやつが話すことって面白いし。
今のコスパ、タイパとかいうクソ理論を圧倒してない? AI とかチャットあんちゃらが届かない領域。
でも家の前で薪割りしてて、やっぱ
“木と家との距離感”が大事と思う。
つまりは、東京みたいな土もないようなところで薪割りしたって、好きだからやってる、っていう以前に、それって似合ってないんだよね。
山から木が運ばれてくるんだろうなと感じる距離感。遠くに山が見えてる風景っていうの?
何も田舎で都会っぽく暮らす必要はないよ。