熱源はただの熱源

2021年03月16日

一月にニセコに泊まり、メイソンリヒーターの工事をしていた時泊まったコテージの話。

コロナ禍もあるし、直前に倶知安の町で小さいけどクラスターとか出てたりしてココはコストをかけてと一人なのに一軒家を借りた。しかもテンションが上がるような僕にとってはイイとこ笑

毎朝毎晩風呂に入り、帰ってきて洗濯をし、たまには明日の弁当までキッチンで作ったりして。キッチンのIHの前で一人しゃぶしゃぶもした笑、テレビのアンテナが大雪でぶっ飛んでしまってて、テレビが見れずずっとマキタのスピーカーで音楽聴いてた。ひとりなのに充実してめっちゃ楽しかった笑

1月なんで、ニセコなんで、滞在してた時に一番冷え込んだ日はマイナス24.3度。ま、函館ではならん温度だわな。その日10時位にレンガを積んでて(作業する室内は5℃くらいはある)、なんか底冷えする!!と思いアメダスを見ると10時なのにマイナス18度。

そんな環境でレンガができるのって、色々な壁があってそれをクリアしていくのも面白かったんだけど(普通はやりません笑)

泊まってたコテージの暖房は、僕にとっては悪名高い電気の蓄暖だったのね。深夜電力で電熱ヒーターでレンガを温めて放熱していくやつね。

普段薪ストーブで暮らしているし蓄暖か、、と思ったの。

そのコテージに7泊したのかな。

もうすっかり慣れて。通いの道も。

ビックリしたのが、蓄暖で快適だったことにびっくりしたの。

蓄暖の良さを決して見直したわけではなく、快適か快適でないかの温熱環境は、ほぼ、住む器にかかっているってことを改めて強く思い知った。

そのコテージは、スゲー断熱気密性能の家だったわけ。

住宅の性能(あくまで地域の寒さによる。想定する寒さに対して足し算式に足していくのもね)があがれば上がるほど、穏やかな暖房器具がより良い住宅環境を作る。

蓄暖がめっちゃついていた時期、、、そうだなあ、20年前くらいの北海道の住宅性能で蓄暖が快適じゃなかったのは、蓄暖が悪いのではなく、住宅が悪いんだということに気がついた。そりゃそうだよね。ヨーロッパから当時あれが入ってきた時のヨーロッパの住宅性能ってね。やっぱ、設備機器って住宅を映す鑑だもんね。

北海道はヨーロッパに近い性能の家はどんどん建っているので、そういうとこの温熱環境考えると、デカイメタルストーブ一台で、、っていうのってやっぱもうちょっと違うよね。

因みに拙宅の住宅性能だと蓄暖は不快になると思う。

熱ロスが多いと、パワープレイで大きな熱を出さなきゃいけない。蓄暖のファン回して、、あの熱い気流が不快で、夜には冷えてる、なんてクレーム20年前によくあったよな笑

あれ家のせいって当時考え無かったもんな笑

なのでウチあたりだと大きめの薪ストーブが合うんだけど笑

性能をあげて小さな穏やかな熱源での暮らしは気流感もなくホント快適。

ヨーロッパの住宅雑誌とか見ていると、デカイ鋳物ストーブがリビングに鎮座していない、その必要がない、だから4本足の薪ストーブが減っていってるのは、

薪ストーブも火を見るロマンの道具ではなく、住宅設備機器として住宅を映す鑑であるからして。

つーはなし。

ダメだ永遠にできる、この話笑 一回やめた。

 

関連記事