伝達の構図
え?? あれってたった1年前なの? 3年位前じゃない? って思うことがよくあるけど、それってどういう事なんだろう。
島根にメイソンリヒーターを組みに行ったのって1年前なんだって。もう最低2年、下手したら3年前に感じる。
メンテのカルテを書いてて、日付を最初に書くんだけど、例えば今10月何日なのに、必ず9月とかって書くんだよね。日付についていけてない事に関係があるような。
日付を確認し、少しずつ変わる季節とかを確認するために日曜や祝日や24節があるのかもしれないけど、
全くそういう事をしていないからそう思うのかな。
それとも歳?
ホントのところどうなのか、どうやって過ごしていくとイイよって、人生の諸先輩方にそこ教えていただきたい。
けど
“ただ時間を積めばわかるもの”、に関しては
ホント年下には響かない、っていう現象があるんだよね。
これは、人生のどのシチュエーションでもそうじゃない?
例えば、老眼になった、お前もいつか見えなくなる、って話って親身に聞けないよ。その時まで頑張るよっ思うしかないし。若者に勉強しとけばよかったって思う時が来るから、なんて言っても反抗心しか生まれない。
だから年下と年上の伝達の構図ってないよね。
年上の人って当然利口でぐいぐいお節介に来ないもんね。僕は行きがちだけど笑。。
僕おじいさんとかおばあさんの話聞くのがけっこう好きで。
いつもそういう構図があればいいのにと思う。
でも話終わった後必ず「すごく上手に話しを聞いてもらったな」って思う事が多い。僕が現役で話題を沢山持っているからではない。あの人らこそ全員滑らない話なんぞメチャメチャ持っているそれぞれのレジェンドなはずなのにね。なんか、少しの話なのに勉強になるところあるなーと都度思う。
50代になると、仕事で得たものを若い人に伝達したいと思うのは自然な事だと思う。きっと。僕ですらそう思う時しばし。それが大それたものでなくても全然良くて、業界の責任みたいに感じてるかな。僕の価値としては30年以上現場で一生懸命やって得たものみたいなものでしかないけど、全ての人がヒーローになるというよか、自分の見られる景色をしっかり見ようって事だから偉い人の話じゃなくてイイんだよね。
その難しい構図を実現させるには、年寄が努力しなくてはならない。
そう、年寄が教えるのに年寄が努力し、フラれるリスクもあり、ウケなくなった時点でもう御用済み。
なので空気は読む、感じるのは重要。嫌われるよ。マウントになってもいけない、登り切った話はつまんなく、坂道の途中でなければいけない。
ほらほら、もうこんな話、若い人は読んでないよ笑