踏襲されつくした知恵の形
今の充実の形ってさ、
たくさんネット上にある中から、、”いいもの” を “見つけて”、それをSNSで出す、、、ま 願わくば沢山イイねをもらう、、
に スマホ片手になってからそうなってしまってる。
ローカル新聞、、名前出しちゃうと北海道新聞のみなみ風なんぞ、ネタ元がSNSで記事はそれ焼き直ししているだけのとかあって、。地域のコミュニティの話題はSNSにその役目を受け渡し、新聞は 昔の人 と SNSの人 の橋渡しをしていて、、、その役目もそんなに長くは続きはしないだろうね。
昔の人間の僕らだとさ、
いいものを作ったとしてもSNSで出すわけではないので貯まっていってないのかもだけど貯まっていく? 錯覚みたいなこと感じるよね。僕もSNSやってたころだったら格好のネタみたいのが今も何個もあるけど別に出す気にもなれんというか。僕自身はいいね沢山もらっても気持ちが別に潤わなくなった笑。
ま、歳とってそうやってSNSで出さなくても少しずつ会いたい人に会えるようになってきたのがいちばん大きい。
昔から踏襲されつくされている知恵は、今でもズキュンなんてもんじゃないヤバいのが沢山あるのに、目新しくない(踏襲されつくされているわけで)、っていうだけで、
情報の価値としてはすげえのに
情報として”無い”ことになっているね。結果、基本ともいえる大事なとこすっ飛ばしてんだよね笑。そこがいちばんおもしろいのに。
だってさ、例えば僕らの仕事風に言うと、
僕のチェーンソーがめっちゃ切れるのって、本当は薪作ったりしている数十万人が最高に気になるところだと思うけど、特に需要も感じないし笑、
焚付け作るのも、本質は斧でできる技術の事だと思うけど、キンドリンクラッカーみたいな (僕自身は100パー使う事の無い) やつ見つけた! が映える。
斧でキンドリンクラッカーより早く楽に沢山作れる技術は、昔の人が上手にやるやつ、、、要は踏襲されつくした知恵って事で、映えた情報にはならない。
目指すのは本来そこなのにねー。
今のままそこを繰り返すとさ、
薪つくりや薪ストーブも一時の充実を満たす “見つけたもの” になってしまうんだよね。
そうなってしまってはいけないのさ。
火との生活って一人の男が心血を注ぐくらい価値のあることよ。
踏襲されつくした知恵の価値をすっ飛ばして、薪ストーブや薪つくりを新しいモン探しの対象にしないでほしい。
薪が早く乾く方法なんていらないんだよね。
湿った薪があたたかくない事とかさ。
薪ストーブ生活から享受される様々なものはぜひありふれた輝きであってほしいな。